3.モダリティに対する考え方の多様性
日本語研究では,モダリティという用語を用いる研究は,古い歴史がある(山岡(2000:69-78),田野村(2004:215-234),黒滝(2005:39-73)参照)。山岡(2000:73)によれば,日本語研究に最初にmodalityという用語を用いたのは,Uyeno(1971)である③。1971年からすでに50年近く経過している。長い研究の歴史の中で,モダリティに対する多様な考え方が出てきている。本節では,それらの考え方を概観する。
3.1.2つのモダリティ論
モダリティに対する多様な考え方があるが,それらの根本的な違いは,モダリティ論にある(田野村(2004:215-234),黒滝(2005:39-73),宮崎(2002a:1-7)参照)。田野村(2004:217)は,日本語研究におけるモダリティ論について次のような指摘をした。
モダリティの論は数多いが,モダリティをどのようなものと捉えるかということについて特徴的な見解を積極的に打ち出しているものとしては,話者の発話時の心的態度を表すとされるさまざまな文要素——終助詞,助動詞,取り立て助詞等々——を一括してモダリティの表現として捉え,「文=命題+モダリティ」という図式に則って文法を考えようとする仁田義雄,益岡隆志らに代表される立場と,考察の対象を“非現実の領域に位置する事態を語るときに用いられる述定形式”に限定し,それらの形式の表す意味をモダリティと定義しようとする尾上圭介の立場とが挙げられる。
(田野村2004:217)
黒滝(2005:49)も,日本語研究における「階層的モダリティ論(主観表現論)」と「非現実事態陳述モダリティ論」の2つの立場の存在を指摘している。この2つの立場は,それぞれ田野村(2004:217)の「仁田義雄,益岡隆志らに代表される立場」と「尾上圭介の立場」に相当する。
現在の日本語研究には,管見の限りでは,モダリティ論をめぐって2つの相対する立場があると思われる。1つは,「モダリティとは,現実の関わりにおける,発話時の話し手の立場からした,言表事態に対する把握のし方,および,それらについての話し手の発話・伝達的態度のあり方の表し分けに関わる文法的表現である」(仁田1991:18)とする「階層的モダリティ論(主観表現論)」(中略)。もう1つは「モダリティ形式とは非現実の領域に位置する事態を語るときに用いられる述定形式であり,モダリティとは,モダリティ形式を用いて話者の事態に対する捉え方をその事態に塗り込めて語るときにその事態の一角に生ずる意味であると見る」(尾上2001:442)という「非現実事態陳述モダリティ論」である。
(黒滝2005:49)
3.2.異なるモダリティの定義
モダリティの定義は,モダリティ論によって異なることはもちろんであるが,以下の益岡(1990:74)と仁田(1991:18)の定義を比べればわかるように,同じ立場に立つ研究者の間でも,一定しない。
・益岡(1990:74):「モダリティ」とは,主観性の言語化されたものである,というのが規定の基本となる。言い換えれば,客観的に把握される事柄ではなく,そうした事柄を心に浮かべ,ことばに表す主体の側にかかわる事項の言語化されたものである,ということである。本稿では,広義の「モダリティ」を,「判断し,表現する主体に直接かかわる事柄を表す形式」と規定しておく。
・仁田(1991:18):〈モダリティ〉とは,現実との関わりにおける,発話時の話し手の立場からした,言表事態に対する把握のし方,および,それらについての話し手の発話・伝達的態度のあり方の表し分けに関わる文法的表現である。
3.3.各種の考察対象
モダリティ論,モダリティの定義の違いによって先行研究で考察対象とされてきたものが異なることは,想像できる。山岡(2000:70-71)によれば,これまでの日本語モダリティの研究では,考察対象として,①文末形式(命令形などの動詞活用,助動詞,終助詞など),②非文末形式(文中に表れる陳述副詞,副助詞など),③主観性を持った実質語(感情形容詞など),④文機能=文類型,⑤発話機能などが挙げられる(黒滝(2005:46)も参照のこと)。ほとんどの先行研究は,①を考察対象としているが,②~⑤のいずれを考察対象とするかは異なることがある。たとえば,①以外には,Uyeno(1971)と中右(1979)は②を,仁田(1991)は③④を,益岡(1991)は④を考察している。
3.4.多義性と非多義性
英語の法助動詞は,1つの形式で幾種類ものモダリティを表現することができる。たとえば,(7)のmustはdeontic modalityの意味を,(8)のmustはepistemic modalityの意味を表している。(9)のcanはdeontic modalityの意味を,(10)のcanはdynamic modalityの意味を表している。
(7)John must be home by ten;Mother won't let him stay out any later.(ジョンは10時までに家に帰らなければならない。お母さんは遅くまで外にいることを許さないから。)
(8)John must be home already;I see his coat.(ジョンはきっと家にいるに違いない。私は彼のコートを見たからだ。)
(Sweetser 1990:49)
(9)He can come in now.(彼は今入ってもよい。)
(10)He can run a mile in under four minutes.(彼は1マイルを4分以内で走ることができる。)
(Palmer 2001:89)
こうしたモダリティ表現の多義性は,英語に限ったことではない。Sweetser(1990:49)によれば,印欧諸語,セム系諸語,フィリピン諸島の諸言語,ドラビダ諸語,マヤ語諸語,フィン・ウゴル諸語などの言語には,モダリティ表現の多義性が見られる(Palmer(1986:121-125;2001:86-89)も参照のこと)。中国語においても,「一定」,「应该」,「得」,「准」,「会」,「能」など,数多くのモダリティ表現が多義性を持っている。たとえば,(11)の「会」はdynamic modalityの意味を,(12)の「会」はepistemic modalityの意味を表している。(13)の「得」はdeontic modalityの意味を,(14)の「得」はepistemic modalityの意味を表している。
(11)他不但会滑雪,也会溜冰。(彼はスキーができるだけでなく,スケートもできる。)
(12)学习那么用功,一定会考上好大学。(あんなに一生懸命勉強しているのだから,きっといい大学に受かるだろう。)
(13)我得去一趟。(私は一度行かなくてはならない。)
(14)要不快走,我们就得迟到了。(さっさと歩かないと遅刻してしまうよ。)
(『中日辞典第2版』)
英語や中国語に比べれば,日本語の場合,1つのモダリティ表現は,単一のモダリティ的な意味しか表さない傾向がある。たとえば,基本的には,「しなさい」,「てくれ」,「といい」,「てもいい」,「てはいけない」,「なければならない」などはdeontic modalityの意味のみを表し,「だろう」,「かもしれない」,「にちがいない」,「はずだ」,「ようだ」,「(し)そうだ」などはepistemic modalityの意味のみを表している。これによって,黒滝(2005:95)は,「日本語にはいわゆるdeontic的なmodalityとepistemic modalityとで異なる類型があり,両者間に「意味的拡張」や「多義性」といった関連性は少ない」とし,日本語のモダリティ表現の非多義性を主張している④。
ただし,日本語には,「う」や「まい」のような,多義的なモダリティ表現もある。たとえば,「う」には,「話し手の意志,決意を表わす」,「相手に対する勧誘,または命令的な意を表わす」,「現在,または未来の事柄について,話し手の推量を表わす」などの意味がある(『日本国語大辞典第2版』)。話し手の推量を表す「う」が徐々に「だろう」にとって替られている(佐伯1993)ものの,「う」は,dynamic modality, deontic modality, epistemic modalityの意味を表しているという多義性を持っていると考えられる(澤田(2006:70-73)も参照のこと)。
3.5.単義的アプローチと多義的アプローチ
多義的なモダリティ表現に関しては,1つのモダリティ表現に1つの中核的(core)あるいは基本的(basic)な意味があるという考え方に基づいて意味分析を行う研究アプローチ,つまり単義的アプローチがある。たとえば,Groefsema(1995:62)は,単義的アプローチをとって,can, may, must, shouldの基本的な意味を下記のように記述している(p=法助動詞を除いた部分で表現された命題)。
Can:
p is compatible with the set of all propositions which have a bearing on p.(pは,pとかかわりのあるあらゆる命題の集合と両立可能である。)
May:
There is at least some set of propositions such that p is compatible with it.(pが両立可能な命題の集合が少なくともいくらかはある。)
Must:
p is entailed by the set of all propositions which have a bearing on p.(pは,pとかかわりのあるあらゆる命題の集合によって含意される。)
Should:
There is at least some set of propositions such that p is entailed by it.(pが含意される命題の集合が少なくともいくらかはある。)
(Groefsema 1995:62)(日本語訳は澤田(2006:179)による)
単義的アプローチと異なる研究アプローチは,1つのモダリティ表現に2つ以上の意味があると考える多義的アプローチである⑤。規範文法と記述文法の研究では,多義的アプローチをとるものが圧倒的に多い。